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前回のコラムで「硬質で割れにくく、光り輝くように美しい中国や日本の磁器は、ヨーロッパの人々にとって憧れのまとでした」と書きました。今回は、その背景を見てみましょう。 中世ヨーロッパの食文化は、料理の方法や素材、メニュー、食器類までが、現在の感覚からすると随分と粗末なものでした。 メニューといえば、肉の塩漬けやプディング、そして魚の干物で、それらを手で食べていたと言われています。 昔から、ナイフとフォークは一応あるにはあったものの、16世紀までは広く普及するまでには至っていませんでした。 ワインを飲むためのグラスも、当時は石かスズ製で、しかも一つのグラスを全員で共用していました。 ナイフは食事に呼ばれたときには各自のものを持参していき、フォークは共同で肉などを取り分けるときだけに使われました。 個人用のフォークの使用は16世紀ベニスから始まり、イギリスでフォークが一般的に使われるようになったのは1750年頃と言われています。 それまでは、フォークの代わりに指で料理をつまみ、そして指の汚れはボウルで洗い、ナプキンで拭いていたのです。 昔のヨーロッパ絵画は宗教画が主ですが、それらを見ると、多少当時の風俗を偲ぶことができます。 中でも、有名無名の画家によって繰り返し描かれてきた「最後の晩餐」は食事の途中の光景なので、参考になります。 http://www.kumorizora.com/bansan.html
これらを見ると、テーブルの上には皿が少なく、ナイフはあっても、フォークやスプーン、グラス類は一切ありません。 お茶が東洋から西洋に渡り、かの地に根付いたのは、お茶そのものの魅力はもちろん、洗練された陶磁器類の美しさとその実用性、お茶を飲む儀礼がヨーロッパの人々に眩しく、魅力的なものだったからなのでした。(山内)
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