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現在、世界中で飲まれているお茶ですが、そもそもの起源は中国の四川省辺りだったと言われています。 中国から外部にお茶が広まっていったルートは主に二つあり、「CHA」と呼ぶか「TAY」と呼ぶかで、その伝播の仕方がわかります。 一つはシルクロードなどを通る内陸コース。チベット、インド、ロシア、ペルシャ、トルコ、アラブなどがそうで、現地で「CHA」 もしくは「CHAI」と呼ばれています。これは、広東語の「CHA」が元の言葉です。 ご存知の通り、日本でも「CHA」と言いますが、これは遣唐使で中国に渡った僧が、直接中国から持ち帰ってきたためです。 二つ目は、16世紀以降、海路によって運ばれていったコース。オランダ語で「THEE」、ドイツ語で「TEE」、英語で「TEA」、フランス語で「THE」、スペイン語で「TE」と呼ばれています。 これはオランダやイギリスが福建省のアモイと直接貿易を始め、福建語でお茶のことを「TAY」と呼んでいたため、ヨーロッパで多少訛って「T‥」と発音されるようになりました。西ヨーロッパで例外的にポルトガルだけは「CHA」と言いますが、ポルトガルが広東省のマカオを統治していたためです。 東西にアジアを旅していると、こんなに広い地域で「CHAI」という言葉が使われているのかぁ‥‥とびっくりします。東のバングラデッシュで聞いた「CHAI」が西のシリア、ヨルダンでも同じように呼ばれているんですから。(正確にいうと、アラビア語では「SHAI」の方が近い気がします。) ちょっと意外な気もしますが、ギリシャでもお茶を「CHAI」と言います。トルコから陸路でギリシャに入ると、街並みが一変してヨーロッパに入ったのをヒシヒシと感じます。ドロ臭いトルコの感覚に慣れた身には、ちょっと緊張してしまう雰囲気です。 そんな中、繁華街にはチャイ売りのおじさんがいて、金髪で灰色の目をした若い女性が「チャーイ!」と声を掛けているのを目撃して、「ここでもチャイなのか」と驚くと同時に妙に嬉しかったのをよく覚えています。 その後、ギリシャ正教の教会で、イスタンブールのモスクで見たのとよく似た柄のタイルを発見し、オスマントルコ帝国の栄華と文化の伝播について思いを馳せたものです。(山内) |
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